御由緒

 
 

古代

 
当社の創建は奈良時代前期、霊亀元年(七一五)と伝えられています(社伝)。
天平九年(七三七)に、周防国(現在の山口県東半)二宮(国司=今の県知事が赴任して二番目にお参りすべき神社)に定められたといわれ、翌年には朝廷から春秋の祭料(お祭の費用)が支給されています(『周防国正
税帳』)。その後、平安時代の史書『日本三代実録』『文徳天皇実録』にもその名が見え、朝廷から崇敬されていたことがうかがえます。
延長五年(九二七)に完成した『延喜式』(平安時代の法律書)の神名帳は、当時朝廷
としてお祀りすべき神社(官社)の一覧を示したものですが、当社は「出雲神社 二座」
として掲載されています(これに載るものを「延喜式内社」と呼びます)。
 


中世
 
鎌倉時代の記録は余り残されていませんが、南北朝時代の古文書には「二宮庄」や「二
宮免田」の記載が見られ、近隣に所領を有したことが推測されます。
 室町~戦国時代には、当地を治めていた大
内 家・毛利家から崇敬 を受け、大内義興は五社(一宮から五宮)参詣の折に立ち寄ったといわれています。
 


近世

 
江戸時代には、当地は萩藩毛利家の支配となりますが、徳地地域の総氏神として、藩主代々並びに地元の氏子崇敬者により守り継がれてまいりました。
延享三年(一七四六)、火災により境内すべての建物を失うという悲劇に見舞われましたが、ほどなく藩主毛利宗広公のご寄進により再建されました。現在残る壮大な社殿はこの時のものです。
近代・現代
明治六年(一八七三)に郷社、明治三十三年(一九〇〇)に県社に列せられました。
その後も由緒ある古社として、幅広く信仰を集めております。